
野田 弘志の価値と相場を知るなら古美術骨董専門買取えんやグループへ
野田弘志は、日本写実絵画の旗手として独自の地位を築いた現代画壇の巨匠です。東京藝術大学で油彩を学び、イラストレーターとしての経験を経て、30代半ばから本格的に画業へと舵を切った野田は、徹底した細密描写と写実表現を武器に、独自の美の世界を切り拓いてきました。
彼の作品は、フェルメールやレンブラントといった西欧古典絵画の巨匠たちへの深い敬意を根底に持ちつつ、背景を黒・白・金のいずれかに統一することで、描かれる対象の存在感を極限まで際立たせる独創的な構図が印象的です。
花や人物、静物に宿る生命の輝きを、光と影、質感の緻密な表現によって描き出すその手法は、抽象表現が主流となる現代においても異彩を放ち、多くの鑑賞者を魅了し続けています。
代表作には、新聞連載小説の挿絵原画としても知られる『湿原』や、等身大肖像シリーズ「聖なるもの」「崇高なるもの」などがあり、そのどれもが「見る者の心に静謐な衝撃を与える」と評されています。
野田の作品は写実画専門美術館であるホキ美術館や山口県立美術館など、国内の主要美術館に多数収蔵されており、安田火災東郷青児美術館大賞や宮本三郎記念賞など数々の栄誉に輝いています。
そのリアリズムへの飽くなき探究心と独自の表現は、国内外で高く評価され、現代日本の写実画壇を牽引し続ける存在として、後進の作家たちにも多大な影響を与えています。
野田 弘志の買取は絵画買取えんやにお任せください。

鑑定人 | 遠藤大祐 |
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出身高校 | 法政二高 [ 野球部OB ] |
出身大学 | 法政大学社会学部 |
趣味 | 歴史の勉強及びゴルフ |
特技 | 鑑定及び野球・囲碁 |
加盟団体 | 東京商工会会員/東京美術倶楽部 桃李会会員/東京美術倶楽部 親和会会員/全国美術商連合会会員/東京美術倶楽部 桃椀会会員/東京美術倶楽部笹塚会 |
現代リアリズムの求道者【野田弘志】
野田弘志は、1936年に韓国・全羅南道で生を受け、幼い頃は中国・上海で異国の空気を吸いながら育ちました。戦争の混乱のなか、家族とともに日本へ戻り、広島県福山市で少年時代を過ごします。多感な時期を経て、静岡県浜名市、そして愛知県立時習館高等学校へと歩みを進め、そこで出会った美術教師・冨安昌也との出会いが、彼の芸術への情熱に火をつけました。
高校卒業後は東京へ。阿佐ヶ谷美術学園洋画研究所で森清治郎に学び、さらに東京藝術大学油画科で小磯良平の薫陶を受け、絵画の基礎と精神を徹底的に磨き上げます。卒業後は広告代理店でイラストレーターとして社会に出ますが、彼の中に芽生えた「本物の絵画」を追い求める熱意は消えることなく、1960年、白日会展での初入選・白日会賞受賞を機に、画家としての人生を本格的に歩み始めます。
以降、野田は自らの感性と技術を武器に、背景を黒・白・金で統一した独特の世界観を築き上げ、花や人物、静物に宿る「存在そのもの」を極限まで描き出す写実表現を確立しました。加賀乙彦の小説『湿原』の挿画や、等身大肖像画シリーズなど、時代を超えて語り継がれる作品を次々と生み出し、その多くがホキ美術館や豊橋市美術博物館などに収蔵されています。
白日会内閣総理大臣賞や安田火災東郷青児美術館大賞、宮本三郎記念賞など、数々の栄誉を手にしながらも、野田弘志は決して流行や名声に流されることなく、「リアリズムとは何か」を問い続け、現代日本写実画壇の先導者として、今なお自らの道を切り拓き続けています。彼の人生は、時代や場所を超えて「本物」を追い求める、飽くなき探究の軌跡そのものです。
野田弘志の略歴
1936年 | 韓国・全羅南道で誕生 |
1945年 | 広島県福山市に移住。その後、静岡市浜松市に転居 |
1952年 | 愛知県立時習館高校入学。美術との本格的な出会い |
1955年 | 『裸婦習作』制作。初期の自己表現 |
1957年 | 東京藝術大学油画科(小磯良平教室)に進学 |
1960年 | 白日会展初入選・白日会賞受賞。画壇デビュー |
1962年 | 白日会会員となる。写実への道を歩み始める |
1982年 | 白日会内閣総理大臣賞受賞。写実画家として脚光 |
1988年 | 「明晰なる神秘」展開催。独自の世界観を発信 |
1990年 | ベルギー・ヘントで個展。海外へ写実を届ける |
1991年 | 安田火災東郷青児美術館大賞受賞。評価を確立 |
1993年 | ポルトガル・リスボン展出品。国際的な挑戦 |
1994年 | ベルギー個展・宮本三郎記念賞受賞。世界で認められる |
1995年 | 広島市立大学芸術学部教授就任。後進育成に尽力 |
1998年 | 白日会退会。独立した創作活動へ |
2005年 | 広島市立大学名誉教授・北海道伊達市アートビレッジ芸術監督就任 |
2007年 | 「写実の彼方に」回顧展開催。創作の軌跡を示す |
2010年 | 『リアリズム絵画入門』刊行。写実の哲学を伝える |
2014年 | 映画『魂のリズム 画家 野田弘志』公開。生涯が映像化 |
2020年 | 94歳で逝去 |
川喜田半泥子作品の査定ポイント
野田弘志作品の査定では、私たち専門買取業者は、単なる市場相場や知名度だけでなく、作品が放つ“野田弘志らしさ”の純度を徹底的に見極めます。まず、1970年代の黒背景静物画や、1980年代以降の白や金を基調とした代表作群は、野田の作家人生の中でも特に評価が高く、査定額にも期待できます。
花や人物、骨や石など、彼が生涯をかけて描き続けたモチーフに、写実を超えた存在感や緊張感が宿っているかどうかを、専門家の目で細かく確認します。油彩画であれば絵肌の状態や発色、鉛筆画なら線の鮮明さや紙質の保存状態など、細部のコンディションも厳格にチェックし、オリジナル額装やサインの有無も価値判断の重要な材料です。
又、ホキ美術館や豊橋市美術博物館など著名な美術館への収蔵歴や、大規模展覧会での展示実績がある作品は、社会的評価と希少性が加味され、査定額が大きく跳ね上がることもあります。制作証明書や展覧会カタログ、作家直筆のメッセージなど、付随資料が揃っていれば、作品の信頼性が一層高まり、買取価格にも好影響をもたらします。
天皇・皇后両陛下の肖像画のように社会的話題となった作品や、近年注目を集めた一点ものは、市場での希少性や話題性もプラス査定の要素です。
私たちは、一点一点の作品が持つ歴史や背景、作家の美意識を丁寧に読み解き、単なる価格付けではなく「なぜこの評価になるのか」を明確にお伝えすることを大切にしています。
野田弘志という作家の精神と、作品が歩んできた道のりを最大限に尊重し、専門業者ならではの視点で、納得と安心の査定をお約束します。
野田弘志を売却する場合の鑑定機関と鑑定書
野田弘志作品を手放す際、鑑定の現場で問われるのは「その作品がどれだけ確かな足跡を持っているか」という一点です。公式な鑑定書や認定機関が存在しない現状では、作品の信憑性を裏打ちする“証”をどれだけ揃えられるかが、売却の成否を大きく左右します。
まず、野田弘志の直筆サインは、作品の出自を語る最初の査定ポイントです。その筆致や配置、時代ごとの特徴まで、専門家は細やかに目を凝らします。さらに、どこでどのように作品を入手したのか。
たとえば老舗画廊での購入記録や百貨店の販売証明、過去の展覧会カタログや招待状、あるいは美術館の収蔵証明など、作品の“旅路”を示す資料が揃うほど評価は高まります。
また、作品がどんな物語を背負ってきたかも見逃せません。たとえば「どの展覧会で飾られたのか」「どんなコレクターの手を渡ってきたのか」といった来歴は、作品の個性と価値を際立たせる重要な要素です。野田弘志の絵画は、単なる物理的なモノではなく、時代や人々の記憶を宿す“証言者”でもあります。
こうした多層的な証拠をもとに、私たち専門業者は一点ごとに丁寧な査定を行い、表面的な価格だけでなく、作品が歩んできた歴史そのものを評価に反映させます。
野田弘志作品の売却をお考えの際は、サインや購入経緯、展覧会資料、来歴など、作品の“人生”を語る手がかりをできるだけ多くご用意いただくことが、納得のいく取引への近道となります。
野田 弘志作品をご売却頂いたお客様のお声
父が長年愛蔵していた野田弘志の静物画を、相続整理のために売却しました。購入時の証明書やサインをしっかり確認してもらい、作品の背景も丁寧にヒアリングしていただけたので、安心して手放すことができました。
(70代 男性)
家の整理をきっかけに、昔画廊で購入した野田弘志先生の絵を売却しました。美術品の売却は初めてで不安でしたが、スタッフの方が親身になって作品の状態や来歴まで細かく見てくださり、納得できる価格で買い取ってもらえました。
(60代 女性)
長年コレクションしてきた中から、野田弘志の作品を査定に出しました。保存状態やサインの有無、購入時の記録など、専門的な観点から丁寧に確認してもらえたので、信頼して取引できました。
(50代 男性)
家族で大切にしてきた野田弘志の人物画。売却には迷いもありましたが、作品のストーリーや思い出を尊重してくれる担当者の姿勢に安心し、納得してお任せできました
(70代 男性)
野田 弘志作品の査定買取時に頂くご質問
- 野田弘志の作品はどのような点が評価されやすいですか?
- 評価のポイントは、作品の背景色(黒・白・金など)、モチーフ(花・人物・静物など)、制作時期、サイズ、そして保存状態です。特に、作家独自の写実表現やサインの有無、購入先や来歴も重要な評価基準となります。
- 油絵と版画では査定額にどれくらい差がありますか?
- 一般的に、野田弘志の油彩画は一点物として高い評価を受けるため、版画と比べて査定額が大きく異なります。版画も人気はありますが、エディション数や保存状態によって価格が変動します。
- 作品にサインがない場合でも査定・買取は可能ですか?
- サインがない場合でも査定は可能ですが、真贋の判断が難しくなるため、買取額が下がる場合があります。他に購入記録や来歴を証明できる資料があれば、査定の参考になります。
- 購入時の証明書や領収書がなくても買取できますか?
- 証明書や領収書がなくても買取は可能ですが、作品の正当性や来歴が明確な場合に比べて査定額が下がることがあります。購入先や過去の所有者情報など、分かる範囲でご用意いただくとスムーズです。
- 作品に小さな傷や汚れがある場合、査定額はどの程度下がりますか?
- 保存状態は査定額に影響します。小さな傷や汚れでも減額対象となることがありますが、まずは現物を拝見させていただくことをおすすめします。
出張買取の流れ

お問い合わせ・訪問日調整
お電話・メール・LINEにてお問い合わせをいただき、専門の担当者がご相談内容をお伺いし出張査定の日程を決めさせていただきます。

ご訪問
事前に、お客様と調整いたしました日程と場所に鑑定士がお伺いさせていただきます。

お品物の査定
軒先・玄関先などにて、ご要望のお品を直接拝見し査定金額をお伝えさせていただきます。

査定金額にご納得をいただきましたら、お支払いいたします。
査定金額にご納得をいただけましたら、即現金にてその場でお支払いいたします。
また、お振込をご希望の際には翌営業日にお振込みさせていただきます。
※出張料やその他費用は、いかなる場合であってもいただきません。
充実の買取項目
骨董・古美術えんやでは、野田 弘志をはじめとする絵画ジャンル以外にも幅広い美術品の取り扱いを行っております。記載のない美術品でも買取可能ですので、ご相談くださいませ。
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陶磁器・根付・古壷・蒔絵・指し物・堆朱・伊万里・時代家具・仏像・古道具など買取致します。また古い家屋や蔵などの整理の際は是非「えんや」をご指名ください。
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表千家・裏千家・武者小路千家の他、久田・堀内・小堀・薮内・山田など各流派書付ものの道具類など買取致します。また千家十職の作品、人間国宝など人気作家作品などから一般道具、お稽古道具まで全般的に買取致します。
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洋画・日本画・版画はもちろん海外作家作品や復刻画も含め近代絵画から現代絵画まで幅広くお取扱い致します。文化勲章受章者はもちろんその他著名作家及び作者名が不明な作品なども買取対象となります。まずはご相談ください。
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甲冑とは戦闘の際に兵士が身につける伝統的な防具の総称。 骨董品買取のえんやでは他社では取り扱いの難しい甲冑でも買取致します。
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着物・和装小物、昭和レトロ・おもちゃ・古小家具・贈答品・ブランド品・貴金属・勲章・軍装などまずはご相談ください。
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